論文を批判的に読むってどういうこと?

イメージ 1

私が論文を読むようになった(読めるように訓練を始めた)のは7年程前である.
で,そのときの指導教官から現在の指導教官,その他いろいろなところで
論文を読む際にいわれることがあった.
「論文は批判的に読め!」とか「粗探しをしろ!」とか...

この7年間,その意味も分からず「批判的に読め」という言葉を思い出しては
批判せず(できず)に読んでいた.
なぜか?
批判的に読まなければならない理由がイマイチ掴めていなかったからだ.
というか,その方法だとか,
そんなことまでいちいち教えてもらう必要は無いのかもしれないが,
批判的に読むための「姿勢」といったものが見えていなかったのだと思う.
いわゆる,
「I cannot see」
である(あってるかな).

ところで,私の最近の仕事といえば論文のリバイスなのである.
ゆえに,教授とのディスカスも長時間行われたりする.
そのようなことをしていく中で,
「学術論文とはどういうものか」という話へ逸脱することがある.
つい先日もその話を聞いていたところ,
私は「論文を批判的に読む」ということに対する意味がクリアーになった.
私はそのときはじめて理解した
いわゆる
「I see」
である(あってるよね).

なぜ,論文を批判的に読み,粗探しをしなければならないのか?
論文に必ずしも正しいことが書かれているわけではないからだ.
言い換えると,
論文を執筆したヒトは必ず,
「この部分は突っつかれたくないなぁ,」
とか
「この点についてはまだ不十分なんだよなぁ」
といった,問題点を抱えている(はずだ).
その点についてはNatureやScienceに掲載された論文であれ然り.

ある意味当然である.
では,なぜ私は批判的に読むことに対して理解を得ることができなかったのか.
それは,Reviewerの存在かもしれない.
基本的に,論文をsubmitすると何人かのReviewerによって査読が行われ,Reviseとなる.
そして,そこで指摘された問題を改善することで論文はacceptされるわけだ.

だから,論文の問題点は改善されるのだからひよっ子研究者の私が批判的に読まなくとも
Reviewerが指摘してくれていると..
しかしながら,ここが間違いだったわけだ.
間違いの理由はいくつかある.

理由1:Reviewerがすべての問題点を見つけられるわけが無い.
投稿者が論文を書く際にあまり突っつかれたくない部分があればそれが分からないようにするであろう.
それはウソを書くわけではなくって,真実の中に紛れ込ませてあやふやにしてしまうようなものであろうか.
だから,投稿者が巧妙に書き上げた論文の隅から隅までを理解してすべての問題点を列挙することは非常に難しい(と思う).

理由2:投稿者はReviewerからコメントされたことに関してのみ論文を改善すればよい
論文というものは新しい知識を人類が共有するために論文として公開するわけだ(よね?).
でも,論文を掲載するまでは投稿者は人類のことは考えない.
考えるのはEditorやReviewerへの対応のみだ.
だから,Reviewerからの質問の範疇で適切な回答をすればよいのだ.
こちら側から,範疇を外れるたり,超えたりする回答をする必要は無い.

以上より,
論文には新しい知識というものが当然含まれるわけだが問題点も残ることになる.
新知識が間違っているというわけではなく,あくまでも問題点が潜んでいるということ(多くの場合ね).
だから,指摘されなかった問題やReviewerの質問をうまくかわした部分を見つけることが
「批判的に読む」とか「粗探しをする」ことにつながる(と思う).

だらだらと文章を書いてしまったもので,
私の言いたいことが伝わらなかったかもしれない.
その場合の最終手段をお教えしたい.

     :
     :
     :

「自分で学術論文を書く」

     :
     :
     :

である.

以上.